対談「ネット時代に、なぜ「読書」が大事なのか?」への感想

対談「ネット時代に、なぜ「読書」が大事なのか? 」

が面白かったので要点と雑感を覚え書き。

タイトルの問い「なぜ読書が大事なのか」への答えは簡明。

ストーリーの編集力を養えるからだ。

いくら題材やアイデアが良くても、それが提供される順番や文脈が適当でなければ題材やアイデアは台無しになる。

例えばコース料理で、いきなりチョコレートケーキが出て来て、そのあとA5ランクの和牛が出てきたら食材は台無しだ。

胃が準備運動をして段々と食べ応えがあるものが登場する、そういう提供の「順番」を考えないといけない。

これを対談では「組み合わせ」、厳密には「順列」の「編集力」と呼んでいる。

ではどうやってこの順番や順列の編集力を養うことができるようになるのか。

それが読書だ。すぐれた本には論理的に時間の流れが編集されていると楠木教授は言う。

つまり情報が頭に入って来る順番が「論理的」に編集されている。その編集のされ方を読書から学ぶことができる。

ウェブの時代は情報が散在しているので、本のように時間的な編集がなされていないことが多い。

つまりウェブ時代に時間が編集されていない情報に触れる機会が増え、それゆえに逆にそれらの情報を編集する能力が益々必要になるというわけだ。

そして対談は最後、自分でものを考える重要性という話に辿りつく。

これは読書を「効率的なストーリーの組み立て学習と考えるな」という牽制だ。

対談で両者は論理を細切れではない長い時間の編集という観点で論じ、効率的な時間消費指向を批判的に捉えている。

そうなると結局「読書」を効率的なストーリー学習と考えると矛盾が生じる。

たしかに読書でストーリー学習を学べるが、それは効率的に時間を編集するためではない。

効率性ではなく編集された長い時間にこそストーリーという付加価値が生じる。

その編集の仕方は学習しながらも各自が「時間をかけて」独自の手法を生みだしていくべきものである。

自分の頭で考えることは効率性とのある種の闘いである。